11月 242024
 

遺跡名41A01(綿貫古墳群)は、日本原子力研究所からその北側にかけての井野川右岸台地上に分布しています。4基の比較的大型の前方後円墳を主墳として5世紀中頃から6世紀後半まで築造されたと推定されています。【アクセス】墳丘消滅、石棺は東京国立博物館屋外に展示
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
岩鼻二子山古墳 前方後円墳 全長115m、後円部径60m、前方部幅67m、高さ9~10m 綿貫町 石棺、五(四)神四獣鏡1、鉄鍬1、鉄斧1、鉄鉾1、鉄剣2、直刀12、石製模造品、埴輪 新編高崎市史

岩鼻二子山古墳は現在の日本原子力研究所高崎研究所の敷地内にあったが、昭和10年頃岩鼻火薬製造所の施設整備に伴い消滅した。群中最大規模で、近くの不動山古墳同様造り出しがあったものと推定され、出土埴輪などから5世紀後半の築造と考えられている。大正2年に発掘調査が行われ、後円部から2基の石棺が出土し、1基が東京国立博物館に収蔵されている。もう1基についてはすでに蓋が存在しなかったようだがそれ以外は市史に記述がない。

博物館入口右手の東洋館軒下に屋外展示されている。訪れたときこの石棺は立入禁止区域内にあったが(東洋館工事中のため)許可を得て柵の近くから見学した。

この石棺は凝灰岩を刳り貫いて造られた舟形石棺で蓋と棺身からなる。棺身は全長261cm、幅108cm、深さ約66cmで箱形をしており、小口面に縄掛突起が1個ある。

蓋(上の写真)は全長が253cm、幅148cm、高さ約50cmの規模で、両長側面に各2個の縄掛突起がある。

近くには他に2基の石棺が展示されている。これは、福井市小山台古墳出土の舟形石棺。

こちらは仙台市一塚古墳出土の家形石棺。

(撮影 2009/07)

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