遺跡名41A01(綿貫古墳群)は、日本原子力研究所からその北側にかけての井野川右岸台地上に分布しています。4基の比較的大型の前方後円墳を主墳として5世紀中頃から6世紀後半まで築造されたと推定されています。【アクセス】JR倉賀野駅から徒歩・自転車3.3km、駐車場有、見学自由(石室内要許可) ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
観音山古墳(岩鼻村22号古墳) 前方後円墳 全長97m、前方部幅64m、高さ9m、後円部直径61m、高さ9.5m 綿貫町観音山 台地 鏡、大刀、金銅製大帯、銅製水瓶、銅製刀子、挂甲、冑、馬具金環、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪、横穴式石室 新編高崎市史、現地案内板

南西から。群中4基の前方後円墳の中で最後に築造された。多くの埴輪を樹立し、副葬品には百済新羅時代と関係の深いものがある。被葬者は上毛野国系豪族の中心的人物で6世紀後半の築造と推定されている。

古墳公園として整備保存されている。

後円部から前方部

前方部から後円部

中段面に開口する横穴式石室

羨道部分の側壁は河原石積で玄室比べ粗雑。全長12.65mは県内第4位。床面積では県内最大。天井は低いが玄室の平面形は奈良県の見瀬丸山古墳の石室に匹敵する。

玄室。角閃安山岩をブロック状にして通し目積みしている。発掘調査時、右側の側壁はほとんど崩壊しており後に復元整備された。

普段は施錠されているが県教育委員会に予約して開けていただいき古墳仲間と一緒に見学した。現在は公園駐車場にある管理事務所に声をかければいいらしい(管理人さんがいれば)

奥壁

奥から外


(現地案内板より)
史跡観音山古墳 史跡指定 昭和48年4月14日 所在地 高崎市綿貫町観音山群馬県の古墳時代後期の代表的な前方後円墳である。 墳丘は、前方部を北北西に向け、全長97m、前方部幅64m、高さ9m、後円部直径61m、高さ9.5mの規模で、すべて盛土で築かれている。中段部と墳頂部には埴輪の配列がある。 周堀は二重にめぐり、内堀と外堀は中堤で区分される。全長178m、幅143mほどである。 石室は、後円部に築かれた巨大な横穴式石室で南西に開口する。壁面は榛名山二ツ岳噴出の角閃安山岩の切石を積み上げ、天井石は吉井町産出の牛臥砂岩が用いられている。 なお、出土品は県立歴史博物館に展示されている。 昭和56年3月 文化庁 群馬県教育委員会石室計測値 全長 12.65m 玄室長 8.12m 奥壁幅 3.95m 奥壁高 2.68m 羨道長 4.53m 羨道奥幅 2.40m 羨道奥高 1.39m 入口幅 1.34m 入口高 1.18m
(撮影 2004/01、2009/07)