遺跡名45A07(正六古墳群)は、烏川左岸にある小河川粕沢川左岸の微高地に分布しています。古墳出現期から5世紀前半にかけて造られた大型の古墳から構成されています。*印-上毛古墳綜覧より【アクセス】JR倉賀野駅から徒歩・自転車1.6km、駐車場無し、見学自由(墳丘立入要許可?) ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
浅間山古墳(倉賀野町1号古墳) 前方後円墳 全長171.5m、前方部長66.3m、同高さ5.5m、後円部径105m、同高さ14.1m 倉賀野町東上正六 形象埴輪、円筒埴輪 新編高崎市史

南西から。楯型の周堀が非常に良く残っている大型の前期前方後円墳。前方部が非常に低い。主体部は未調査のため不明であるが竪穴系と推定されている。

西から。4世紀末~5世紀初頭の築造と推定されている。(2015/12追記。さいたま史跡の博物館の古墳編年パネルによると4世紀中~後半の築造。)

周溝は田圃として地割がよく残っている。

(旧現地案内板より) 史跡 浅間山古墳 所在地 高崎市倉賀野町東上正六甲313 指定年月日 昭和2年4月8日浅間山古墳は、平坦地に土を盛り上げて2段に築いてある、南北に長い前方後円墳である。墳丘の周囲には楯型の深い濠が掘ってある。形状と特色 1.後円部径が前方部幅より大きい。 1.前方部と後円部の高さの差が大きい。 1.後円部は円錐形を保っている。 1.前方部の頂上は平坦になっている。 1.周濠は深く掘ってあり、きれいな楯型をしている。古墳のつくられた時期 時期を決める確実な資料はないが、墳丘の型を破壊が少ないものとするならば比較的古い型をしており、白石稲荷塚古墳(藤岡市所在)と同時期の5世紀初頭と推定される。なお、埋葬者については、伝説、口碑などの類がなく不明である。 昭和58年3月31日 文部省 群馬県教育委員会 高崎市教育委員会
(撮影 2004/01)