11月 292024
 

遺跡名45A07(正六古墳群)は、烏川左岸にある小河川粕沢川左岸の微高地に分布しています。古墳出現期から5世紀前半にかけて造られた大型の古墳から構成されています。*印-上毛古墳綜覧より【アクセス】JR倉賀野駅から徒歩・自転車1.6km、駐車場無し、見学自由 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
大鶴巻古墳(倉賀野町2号古墳) 前方後円墳 全長123m、前方部長51m、同高さ6.5m、後円部径72m、同高さ10.5m 倉賀野町丙下正六 円筒埴輪 新編高崎市史

南から。楯型の周堀が良く残る123mの大型前方後円墳。4世紀末~5世紀初頭の築造と推定されている。後円部の左奥に見えるのは浅間山古墳。

西から後円部。

前方部から後円部

後円部から前方部

(現地案内板より)史跡 大鶴巻古墳 所在地 高崎市倉賀野下正六661 指定年月日 昭和2年4月8日この古墳は、平坦地に土を2段に盛り上げてつくられた南北に長い前方後円墳である。墳丘のまわりには、楯型の濠をめぐらしていて、よく原型を残している。特色と形状 1.後円部が前方部より高い 1.後円部径が前方部幅より大きい。 1.死者を葬った主体部は、竪穴系とみられる。 1.墳丘表面には、河原石の葺石がある。 1.墳丘上には、埴輪の配列があったとみられ破片が発見される。古墳のつくられた時期 墳丘は前方部が低く狭い形で、楯型の周濠をめぐらし、主体部も竪穴系と考えられること、埴輪の存在が推定され、技法的にも古い形式であることなどから、古墳時代のうちでもかなり早い時期のものらしく、5世紀前半のものと推定される。 昭和58年3月31日 文部省 群馬県教育委員会 高崎市教育委員会

(撮影 2004/01)

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