足利公園古墳群は、渡良瀬川北岸の丘陵上に分布しています。明治19年に坪井正五郎博士によって日本で初めて科学的な古墳の調査が行われたことで有名です。【アクセス】JR足利駅から徒歩・自転車2.3m、駐車場有(石室内立入要許可) ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
1号 円墳 約16m 緑町 丘陵、公園 耳環、家形埴輪、朝顔形埴輪、円筒埴輪、須恵器(以上平成4年調査)人骨大人1体分、勾玉2個、丸玉4個、小玉4個、金銀環8個、直刀7振、刀子2本、鉄鏃(以上明治19年調査)葺き石、横穴式石室 案内板

南から。坪井博士によって日本で初めて学術的発掘調査が行われたのが、この1号墳らしい。

典型的な山寄せ型の古墳。下方から立派に見えるように造られている。7世紀前半の築造と推定される。

南向きの開口する無袖式の横穴式石室。普段は施錠されているが2009年再訪時開放されていた。

奥壁はチャートの巨石、側壁は河原石積。

(現地案内板より抜粋)足利公園第1号墳 この古墳は、南東向の急な斜面につくられた直径約16m、高さ4.5m以上(谷側から)の円墳です。墳丘は2段築成で、河原石の葺石を持ち、さらに1段目テラスには一定の間隔をあけ埴輪がならんでいました。ただし、山側は1段目の葺き石、埴輪列ともに省略され、谷側から見上げたとき、大きく立派に見えるようにつくられています。内部主体は、南東を向いた無袖式の横穴式石室で、長さ3.5m以上、高さ約1.75mです。奥壁はチャート(山石)の2枚重ね、側壁は細長い河原石を小口積みにしたものです。平成4年度に保存整備にともなう発掘調査が行われ、耳環、家形埴輪、朝顔形埴輪、円筒埴輪、須恵器などが出土しました。本墳は、明治19(1886)年、足利公園造成にともない、人類学者の坪井正五郎博士によりわが国初の古墳の科学的な調査が行われた、足利公園第1号墳であると考えられます。当時の記録によれば、この古墳からは、人骨大人1体分、勾玉2個、丸玉4個、小玉4個、金銀環8個、直刀7振、刀子2本、鉄鏃等が出土しています。坪井博士は、文久3(1863)年、江戸両国に生まれ、東京大学大学院在学中にこの古墳の調査を行いました。その後も東京芝丸山古墳などの調査を精力的に行いわが国近代考古学の発展に大きな寄与をした人です。この古墳は日本の近代古墳研究の記念碑として貴重です。平成6年1月足利市教育委員会
(撮影 2003/09)
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