12月 042025
 

足利公園古墳群は、渡良瀬川北岸の丘陵上に分布しています。明治19年に坪井正五郎博士によって日本で初めて科学的な古墳の調査が行われたことで有名です。【アクセス】JR足利駅から徒歩・自転車2.3m、駐車場有(石室内立入要許可) ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
3号墳 前方後円墳 全長約34m、高さ6m以上 緑町 丘陵、公園 形象埴輪(以上平成4年調査)金環、小刀、鉄鏃、轡、馬具、杏葉、鎧小札、須恵器(以上明治19年調査)葺き石、横穴式石室 案内板

南から。丘陵の頂部を利用して造られている。左手前が前方部。右奥が後円部。群の中で最も古い6世紀中頃の築造と推定される。

前方部から後円部

後円部から前方部

南東向きに開口する横穴式石室

側壁はチャートの割石積。奥壁もチャート。

奥から外。両袖型。

(現地案内板より抜粋)足利公園第3号墳本古墳は、平成5年度、保存整備に伴う発掘調査が行われ、丘陵を巧みに利用してつくられた全長約34m、高さ6m以上(谷側から)の前方後円墳であることがわかりました。墳丘は2段築成で、河原石の葺き石を持ち、1段目のテラスには小さな石がすき間なく敷かれ、さらに、円筒埴輪が接して1列にならんでいました。造られた当時は全面に石が張られ、異様な景観であったと推定されます。そのほか、人物、家、盾、とも、ゆき、大刀、きぬがさの形をした埴輪が出土し、墳頂部を中心に立てられていたと考えられます。内部主体は、南東を向いた両袖式の横穴式石室です。奥壁は、チャート(山石)の2段重ね、側壁もチャートの割り石を積んだものです。全長7.9m、玄室長3.3m、玄室幅約1.8m、高さ約2.1mです。本墳は、明治19(1886)年、足利織物講習所役員・峰岸政逸氏によって発掘調査された足利公園3号墳であると考えられます。この発掘がきっかけとなって坪井正五郎博士による発掘調査が行われました。当時の記録によれば、この古墳からは、金環、小刀、鉄鏃、轡、馬具、杏葉、鎧小札、さらに須恵器が出土しており、甲冑を身に着け馬具で飾られた馬に乗った支配者の姿が思い浮かびます。峰岸政逸氏は、弘化2(1846)年、今福村に生まれ、明治時代足利の機業界で活躍する一方、文化人としても知られていました。本古墳は足利公園古墳群内でも最も大きな前方後円墳として貴重です。平成9年3月足利市教育委員会

(撮影 2014/03、2003/09)

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