11月 222024
 

本古墳は、井野川左岸の台地上で、上滝・下滝古墳群のすぐ上流側に位置しています。【アクセス】JR倉賀野駅から徒歩・自転車4.2km、神社駐車場、見学自由 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
元島名将軍塚古墳( 京ケ島村1号古墳)前方後方墳 全長96m、後方部幅51m、後方部高さ8.6m、前方部幅40m、前方部高さ4.7m 元島名町将軍塚 台地 獣形鏡・石釧・大刀・鉈・底部穿孔壷形土器・鉄鏃、人骨、木棺片、朱塊、土師器、須恵器 現地案内板、新編高崎市史

東から。右奥が後方部、左手前が前方部。前橋天神山古墳とともに初現期位置づけられる古墳。

前方部から後方部。大きく抉られたあとがあるがこれは1911年に社殿工事で掘削されたものである。このときに主体部が発見された。

前方部上の島名神社社殿。

現地案内板より

(現地案内板より) 高崎市指定史跡 将軍塚古墳 付、周濠出土の底部穿孔壷形土器等一括資料所在地 高崎市元島名町162ほか 指定年月日 昭和48年1月31日 追加指定 平成3年3月1日将軍塚古墳は、井野川の左岸台地上に位置する前方後方墳である。現在、前方部には島名神社が鎮座している。 古墳の規模は、全長96m、後方部幅51m、後方部高さ8.6m、前方部幅40m、前方部高さ4.7mで、周堀を含めた主軸の全長は150mと推定されている。墳丘に葺き石は認められない。周堀は不定形をしており、深さは0.3mほどである。 明治44年、後方部より偶然に埋葬施設が発見された。これは、墳頂下約2mにあって、大きさは全長1.8m、幅0.6mほどであり、中からは人骨のほか獣形鏡・石釧・大刀・鉈などの副葬品が出土している。これらの内、鏡・石釧は東京国立博物館に所蔵されている。 また、昭和55年度の発掘調査の際に、墳丘から転落したと思われる底部穿孔壷形土器などの遺物が、周堀より多量に発見された。これらは、一括して追加指定されている。 この古墳は、墳丘の構造・副葬品・出土した土器類などから4世紀後半に築造されたと推定されており、井野川流域で初めてつくられた大型の前方後方墳である。 高崎市教育委員会

(撮影 2004/01)

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