9月 212024
 

本古墳は、渡良瀬川右岸の西岡地区の台地の西端に位置しています。【アクセス】 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
赤城塚古墳(西谷田村1号古墳) 円墳 約32m 西岡 台地、神社 三角縁仏獣鏡 現地案内板

赤城神社の鳥居付近から。標柱の後ろあたりが墳丘。

社殿が載っているのは墳丘では無いらしい。

社殿から古墳を見る。天宝年間に出土した三角縁仏獣鏡は県指定文化財。(下記参照)

古墳と社殿の間にある鏡陵皇太神碑。鏡出土の経過を記したもので安政4年に建立された。町指定重要文化財。

三角縁仏獣鏡(現地案内板より)

(現地案内板より抜粋)板倉町指定史跡 赤城塚古墳 指定 昭和44年5月29日この古墳は、古墳時代初期の4世紀から5世紀にかけて築かれたものです。直径32mほどの円墳ですが内部施設はよく分かりません。 当時、渡良瀬川は、古墳の南方を流れていたことから、栃木県の三毳山方面にまで勢力を持っていた豪族の墓と考えられます。 延宝4年に三角縁神獣鏡が発見されています。 昭和60年10月 板倉町教育委員会群馬県指定重要文化財 三角縁仏獣鏡 指定 昭和38年9月4日西丘神社に保存されているこの鏡は延宝年間(1673-1680年)に境内赤城塚古墳から農夫の手により発掘された。出土品として他に剱、直刀の破片がある。 三角縁仏獣鏡は直径22.08センチメートル。縁の断面は三角形で、内側に2重の波紋帯を挟む鋸歯紋帯がある。さらにその内側には鳥獣紋帯があり、紐をめぐり主な紋様帯がある。図にあるように主紋帯には3体の仏像が表現されている。仏像が描かれている鏡は現在全国で5種八面しかなくこの鏡と同じものは他にない。 仏像の1体は蓮華座に結跏趺座し、瓔珞を首にかけ、頭光と髭がある。両肩には火炎とみられる突起があり、禅定印を結んでいる。 また左手に蓮華を持ち、髭のある菩薩風の立像も表現されている。 三角縁仏獣鏡は3世紀に中国の魏で製作されその後、日本に伝わったものと考えられている。魏で製作されたものとするなら中国に伝来した仏教思想の影響、あるいは中国における民間宗教道教等との関係、さらに日中の関係を考察するうえで貴重な資料である。 平成9年3月31日 群馬県教育委員会 板倉町教育委員会板倉町指定重要文化財 鏡陵皇太神碑 平成9年1月31日指定県指定文化財「三角縁仏獣鏡」の発見経過が紹介されたものとして最初のものはこの「鏡陵皇太神碑」である。 「鏡陵皇太神碑」は、安政4年(1857年)に南光院住職光範と地元の人々(特に世話人として・北山喜左エ門・茂木七左エ門・島田角左エ門・菅井六左エ門)が建立したものである。 銘文によると「三角縁仏獣鏡」は延宝4年(1676年)に赤城神社の再建修理時に地元の農夫により発見され、以来「霊鏡」として「鏡陵皇太神」と命名され、西岡と西岡新田の鎮護神として人々の崇拝をうけ、現在に至っている。 平成9年3月1日 板倉町教育委員会

(撮影 2003/09)

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

(required)

(required)