6月 252024
 

成塚向山古墳群は太田市北部の八王子丘陵上にあり、2基の古墳が残っていました。北関東自動車道の用地内(太田強戸PA)にあたることから(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団により発掘調査されています。【アクセス】 ★地図★
古墳名  墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
成塚向山1号墳 方墳 1辺約23~24m、高さ約2m強 成塚町 丘陵 木棺、鉄剣、鉄製工具、銅製矢尻、翡翠勾玉、硝子玉、銅鏡(重圏文鏡)、人歯 成塚向古墳群現地説明会資料

東側の尾根上から。中央右が1号、左が2号。眼下の平野部を一望できる場所にある。左奥の成塚団地は6世紀代の群集墳(成塚古墳群)や集落跡の上に造成されている

南西から。珍しくも盗掘されていない4世紀前~中頃の方墳であることが判明。墳丘はまず丘陵の頂部を平に削り、次にそこを焼き(?)、主体部周囲に土手を築いた。古墳周囲の礫はその際の土取りの結果地中の礫面が現れたもの。周囲に古墳が築かれていないことから(2号墳は200年以上後のもの)長い間ここは聖域とされていたようだ。

埋葬施設は2箇所発見されていて中心のもの(約9m×8m)は粘土を敷いて木棺(長さ約5m)を設置し、上からも粘土で薄く覆ってから赤い顔料が少しかけられていた。もう一つは少し後に追葬されたもので(写真左上の土手の溝)顔の上に絹で覆われた鏡が置かれていた。人歯から30歳代の小柄な人物(女性?)と見られている。

未盗掘のため葬儀の様子もわかってきたそうだ。まず土手を築いた状態で木棺を設置。(土手の北側が切れているのでそこから搬入か)カンテラ用の土器があることから夜に祭祀が行われたものと思われる。その後主体部を埋め墳丘を築いていった。発見された土器は愛知方面の様式のものと土着のもの両方があり、二つの民族が協力して築いたのかもしれないとのこと。

第3回現地説明会の時(2004/08)には足場板が外され木棺が置かれていたくぼみが良く見えた。

第3回現地説明会説明板より

未盗掘の前期古墳、1号墳の姿 1号墳には二人の人物が葬られていました。いずれも全く盗掘を受けていませんでした。とりわけ最初に中央に置かれた木の棺(長約4.5m幅約0.8m)の跡からは、金属製の武器(古い特徴をもつ鉄剣類と光り輝く銅の矢尻)や首飾りの玉(透明な緑色をしたヒスイの勾玉と濃い水色のガラスビーズ)が納められたそのままの状態で出てきました。  残りが特に良かった中央の棺では、遺体の頭(北)側と足(南)側に分かれて武器が出てきました。その多くは遺体を守るように切っ先が外を向いていました。また北西側に後から顔の上に鏡をのせて葬られたのは、30代の小柄な人であることが歯より分かりました。  1号墳は正方形に近い形(一辺約20m)をはっきりとっています。高さは2mほどと低く、周りには自然の石の層があるため堀が掘られていません。このような形は前期(4世紀頃)の古墳ではかなり珍しいものになります。  四角くめぐる土手が盛られた後、北側に中央の棺を運び入れる入口が作られています。やや低い東側の土手上には珍しい葬式に使われた特別な明かり用土器(手焙形土器)が置かれていました。そして葬式の後で、中のくぼ地は軟らかい土で埋められました。  棺を入れた入口がきれいに見つかったのは、関東では初めてのことです。(第3回現地説明会説明板より)資料 成塚向古墳群現地説明会資料及び現地説明より

出土品

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