飯塚古墳群(小山市)は、思川と姿川に挟まれた台地上に分布しています。かつて40基以上の古墳があったといわれています。(思川近くの群集墳と琵琶塚・摩利支天塚は築造年代に隔たりがあるが、ここでは広義の飯塚古墳群とした。)【アクセス】JR小金井駅から徒歩・自転車4.1km、駐車場有 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
摩利支天古墳 前方後円墳 全長約117m、前方部幅約75m、高さ約7m、後円部直径約70m、高さ約10m 飯塚 台地 円筒埴輪、形象埴輪 小山市HP、探訪とちぎの古墳

(1)北から。左が後円部、右が前方部。埋葬施設は未調査であるが埴輪などから5世紀末から6世紀初頭の築造と推定されている。

(2)北西から。

(3)前方部を西から。

(4)前方部から後円部。後円部上には摩利支天社がある。

(5)前方部から後円部。

現地案内板より
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを越える大規模な周溝がめぐらされています。この周溝は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。また墳丘上には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状から、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。このような巨大な古墳の被葬者は、大和王権による支配体制の中で、下毛野国をはじめて統括した大首長であったとも考えられています。栃木県教育委員会(現地案内板より)
(撮影 2005/12)
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