11月 052025
 

箕田古墳群は、大宮台地の北端、荒川と元荒川に挟まれた台地上に分布しています。【アクセス】★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
箕田2号墳(三士塚) 円墳 現状23m(復元推定32m) 箕田字九右衛門 台地・山林 土師器、須恵器、埴輪、横穴式石室、周堀確認 埼玉県古墳詳細分布調査報告書

2003年。満願寺の西側近くにあり、神社となっている。6世紀後葉の築造と推定されている。

2024年再訪。見通しがよくなった。

北東から

墳頂

箕田古墳群の分布図はここの案内板にある。

2003年時の案内板

現地案内板より(現地案内板より抜粋)箕田古墳群 本古墳群は大宮台地の北端部に位置し、東西800m、南北800mの広い地域に渡って分布している。古墳は荒川・元荒川の沖積地に囲まれた標高16~18mの台地上に立地し、龍泉寺・冨士山・宮前・稲荷町の四つの支群を形成している。 今までに9基の古墳の所在が知られているものの、現在は1・3号墳が消滅しているため、わずかに7基の古墳が残っているのみである。しかし、付近一帯に埴輪片が採集される事実からすると往時は相当数の古墳が存在していたものと思われ、鴻巣市では生出塚古墳群と並んで最も多くの古墳が密集していた地域である。 発掘調査は昭和3年に柴田常恵氏によって7号墳が行われたのをはじめとして2・3・9号墳(宮登古墳)で実施されており、須恵器有蓋高杯・はそう・埴輪・金環・切子玉・丸玉・鉄鏃等が発見されている。 箕田古墳群の築造年代は、出土遺物や最近の発掘成果より6世紀初頭から7世紀中葉の約150年間に及ぶことが判明している。箕田2号墳 本墳は別名「三士塚」と呼ばれ、5号墳に次ぐ箕田古墳群第2位の規模をもつ古墳である。現状は直径23m、高さ3mを測る円墳で、墳丘の形状を良く残している。 昭和58年に隣接地で発掘調査が行われ、墳丘を巡る周溝が確認されている。それによると築造当時は、直径32mを有する大型古墳であったことが明らかになっている。また、周溝内より須恵器有蓋高杯・甕の破片及び埴輪片が検出されており、本墳は6世紀後葉に築造されたものであることが判明している。 なお、本跡の南側一帯は箕田館跡の推定地となっており、それに関連して本墳は武蔵守源任及び妻子の墓とする古記述がある。しかし、築造年代からするとこの記述を信用することは出来ず、おそらく後世に両者が結びついて伝承されたものであろう。 昭和63年3月 鴻巣市教育委員会

(撮影 2024/11、2003/11)

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