3月 092025
 

田篠塚原古墳群は、鏑川と雄川の合流点近くの低段丘上に分布しています。7世紀代に築造された群集分(33基)と推定されています。【アクセス】上信電鉄上州福島駅から徒歩・自転車1.4km、駐車場無し、見学自由 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
田篠しの塚古墳 円墳 19m以上 田篠字塚原 歯、耳飾り、横穴式石室 現地案内板

国道のバイパス建設に伴い移築復元(墳丘は縮小)。規模や位置から発掘調査された田篠塚原遺跡4号古墳(福島町38号古墳)と思われる。墳丘に平たい石を貼った珍しいつくり。

北西から

全長7.8mの横穴式石室。調査時天井石はすでになかった。

玄室。砂岩、結晶片岩、安山岩などで組まれている。

奥から外。両袖型。5人以上が埋葬された家族墓と推定されている。

上から。やや胴張り。

田篠しの塚古墳 この付近は塚原と呼ばれ、まわりには30以上の古墳(塚)がありました。  これらの古墳は、今から1300年から1400年程度前の、古墳時代の終わり頃に次々とつくられたお墓で、塚原古墳群と呼ばれています。  しの塚古墳はこの古墳群の中で最大のもので、もとはここから100mほど南西の道路際にありましたが、平成7年から8年にかけて国道のバイパス工事のため発掘調査され、その後この場所に移されて公園として整備されました。  発掘調査では、もとの大きさは直径19m以上の円墳であったことが分かりました。中は盛り土ですが、表面全体に平たい石を貼った大変珍しい作りかたをしていました。中心の部分には,遺体を安置するための、幅2m、長さ4.4m、高さ2m以上の大きな石の部屋があり(玄室)、南向きに入口の通路(羨道)が開いていました。入口から奥までは7.8mの長さで、このような構造のものを横穴式石室といいます。 石室の天井を塞いでいた石(天井石)はすでにありませんでしたが、壁の石は砂岩、結晶片岩、安山岩などで組まれており、一番大きい石は3.7トンの重さがあります。砂岩も遠くから切り出して運んでこられたものでした。  石室の中からは埋葬の時に遺体に供えた物がたくさん見つかりましたが、とくに人の歯や耳飾りの数から、5人以上の遺体がここの納められていたことが分かりました。当時の有力者の家族の墓であったと思われます。  現在の場所に移すのに際しては、石室はもとのままに復元されましたが、全体の大きさは直径約14mに縮小されています。バイパス工事では他に6基の古墳も発掘調査されましたが、しの塚古墳以外は調査後に壊されました。 平成8年3月 富岡市教育委員会 (現地案内板より)

(撮影 2004/02)

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