12月 272024
 

遺跡名50A02(山名土合古墳群)は、観音山丘陵東南端で小規模な扇状地の微高地上に分布しています。今までに9基の古墳が確認されていますが墳丘が残るのは1基のみです。6世紀後半の築造と推定されています。*印-上毛古墳綜覧より★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
山名土合Ⅰ号古墳(多野八幡村71号古墳) 円墳 径9.5m 山名町土合 横穴式石室、刀子、水晶製切子玉、ガラス製小玉、滑石製管玉、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、馬の歯 新編高崎市史

南八幡中学校正門前に移築されたⅠ号古墳の石室。新編高崎市史によると、群馬県史や日本考古学年報17では本古墳を多野八幡村69号古墳としているが、これは誤認で71号古墳だそうである。

古墳を潰して作られた学校はけっこうある。是非見習って保存してほしい。

(現地案内板より)土合Ⅰ号古墳(復元) 1.古墳名称 土合Ⅰ号古墳   「上毛古墳綜覧」旧多野郡八幡村第69号古墳 2.築造地番 高崎市山名町7番地(土合は小字名)   移築現在番地 同町31番地 3.古墳形式 円形古墳 4.概要  昭和10年、県下一斉調査による「上毛古墳綜覧」には、旧多野郡八幡村地域に、77基の古墳があったことが記されています。その後、県などの遺跡調査によって、山ノ上西古墳をはじめとした数基の古墳が新たに確認されています。今までに破壊されたしまったものを含めると百基に及ぶ古墳が築造されたと推定されます。これらの古墳はほとんど7世紀から8世紀始めの古墳時代末期に築造されたと推定され、土合Ⅰ号古墳もこれらの中の1基と考えられます。  昭和39年夏、群大史学研究室に発掘調査された結果によりますと、石室は素朴な横穴式(袖無型)であり、石室の構造から見て家族墳で、死者を追葬しました。  出土遺物は、刀子一、管玉一、曲玉(碧玉)一、小玉三、人形埴輪ニ、円筒埴輪三(後の調査で円筒埴輪の配列確認)、その他若干の出土品がありましたが、群大史学研究室に保管されています、  昭和43年、発掘調査資料に基づいて、本校社会科クラブが石室を中心に復元し、土地所有者の好意により地所を無償借用して管理・保存してきました。  高崎市は、この校地に隣接する土地の買収を行い、古墳所在の位置に校舎を増築することとなったので、昭和54年2月、本校は保存のため古墳を解体して、55年5月社会科クラブが地元上原建設株式会社の協力を得て現在地に移築・復元しました。 昭和56年8月 高崎市立南八幡中学校

(撮影 2004/01)

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