12月 242024
 

遺跡名21-A-10(少林山古墳群)は 、高崎市西部碓氷川右岸の少林山達磨寺周辺に分布しています。達磨寺背後の丘陵は地滑りの対策事業が行われ20基の古墳が発掘調査されましたが、今でも寺周辺に数基の古墳を見ることが出来ます。5~7世紀代に築かれた古墳群と推定されています。*印-上毛古墳綜覧より【アクセス】JR群馬八幡駅から徒歩・自転車1.8km、寺駐車場、見学自由(石室内入室不可) ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
天頭塚古墳(少林山台遺跡2号墳、*碓氷八幡村48号古墳) 円墳 径18m、高さ5m(*径6m、高さ2.4m) 鼻高町台 横穴式石室、刀子、刀装具、鉄鏃、弓飾金具、馬具、金銅製耳環、ガラス製小玉、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、古銭 新編高崎市史

地すべり対策事業で削平された古墳のうち天頭塚古墳は移築復元された。新編高崎市史では碓氷八幡村48号古墳、群馬県古墳総覧では碓氷八幡村45号古墳としている。

達磨寺背後の山体が削られた平坦地に復元。

入口はアクリル板で塞がれて入ることはできない。

全長6.3mの袖無し型。粗粒安山岩の山石を用いた自然石乱積。玄室奥幅2.25m、高さ約2m。奥壁には室町時代に刻まれた線刻仏画が描かれている。

(現地案内板より)地すべり対策事業と少林山2号古墳 ここ少林山地区は、明治時代から地すべりの被害が多発したため、群馬県では昭和35年から地下水排除工、鋼管杭打、排土工事などの対策工事を実施してきました。現在対策は終了し、地すべりは沈静化しています。工事区域には、5~7世紀代に造られた豪族の墓が群となって存在していたため、平成元年から(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団により発掘調査が行われました。その中でも保存状態が良好で、学術的価値が高いと判断された2号古墳を、地すべり対策事業の一環として、移築し復元することとしました。少林山2号古墳 6世紀中頃に造られたと考えられる2号古墳は、岩野谷丘陵に点在する少林山古墳群の中にあります。台地先端部に造られた円墳で、昔から「天頭塚」と呼ばれていました。発掘調査の結果、古墳の全長が25.6m、墳丘の径が12mの大きさであることがわかりました。外部施設 墳丘の裾は平らな面となっており、円筒埴輪や人物・太刀などの形象埴輪が並べられていました。墳丘は裾から直に立ち上げ、途中からゆるくする特殊な作りになっており、葺き石は山石を使って墳丘前面に貼り付けています。内部施設 全長6.2mの南南西に開く横穴式石室で、平面形は奥より入口部が狭い羽子板状になっています。床には小さな石を前面に敷き詰め、3ヶ所に区切っています。一番奥が遺体を安置するための棺座で、周辺からガラス製の小玉や金銅製の耳かざりなどが出土しています。奥壁の線刻仏画 奥壁に地蔵菩薩が彫られています。線の特徴等から室町時代明応期(1492年~1500年)に刻まれたもので、この古墳が後の時代でも信仰の場になっていたことがわかります。平成9年10月 群馬県・群馬県教育委員会

(撮影 2004/01)

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

(required)

(required)