遺跡名14-A04(八幡古墳群)は 、碓氷川、烏川に挟まれた台地上の南側に、碓氷川に面して分布しています。3基の前方後円墳を中心に構成。【アクセス】JR群馬八幡駅から徒歩・自転車1.7km、資料館駐車場から徒歩、見学自由 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
観音塚古墳(碓氷郡八幡村7号古墳) 前方後円墳 全長100m、後円部径75m、高さ14m、前方部端幅91m、高さ12m 八幡町 台地 銅鏡4、太刀、馬具類、銅椀、鉄鏃、工具類、金環、銅釧、須恵器等 古墳めぐりハンドブック

南側の中段から。左が前方部、右が後円部。六世紀末ないし七世紀前半の築造と推定される。

前方部から後円部

後円部から非常に発達した前方部

自然石乱石積両袖型横穴式石室。全長15.3m。

全長15.3m、羨道幅1.4~1.95m、同高1.75~2.30m。羨道部分でも立って歩けるほど天井が高い。

玄室。玄室長7.14m、同前幅2.80m、同奥幅3.42m、同高2.8m。高さ2.8m。天井部・側壁・奥壁に巨石を使用しており奈良の石舞台古墳の石室と並び称されている。

奥壁の下の巨石だけで人の背丈以上ある。

奥から外。両袖型。戦時中防空壕を作る際開口し、多数の副葬品を発見。


(現地案内板より抜粋) 史跡 観音塚古墳 所在地 高崎市八幡町字観音塚1087 指定年月日 昭和23年1月1日この古墳は、円丘部を東に置き東西に長い前方後円墳で、基壇を設けた上に墳丘をのせる2段の形式で造られている。死者を埋葬する石室は、巨石積み横穴式のものであり、奥壁からかけわたされた天井石の巨大さは県内ではめずらしいものである。特色 1.巨石巨室の前方後円墳として、最終時期にあたり、大和石舞台古墳と対比できる。 1.埋葬品は、綿貫観音山古墳(高崎市綿貫町)金鈴塚古墳(千葉県木更津市)と対比できるとともに、仏教文化のうかがえる遺物としても重要である。 1.上野国を支える有力豪族の墳墓であり、文化水準の高いことを良く示している。古墳の作られた時期 この古墳の築造年代は、榛名山二ツ岳爆裂以後(7世紀初頭)、大化の改新以前(645年)で、7世紀前半の頃と推定されている。昭和58年3月31日 文部省 群馬県教育委員会 高崎市教育委員会
(撮影 2003/11)