成塚向山古墳群は太田市北部の八王子丘陵上にあり、2基の古墳が残っていました。北関東自動車道の用地内(太田強戸PA)にあたることから(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団により発掘調査されています。(2004/07))

1号墳の北西斜面から古墳と同時期の18基におよぶ住居群が発見された。

いずれも柱の跡はなく斜面を掘りこんで屋根を架けただけの簡易なものらしい。右上は1号墳。

この場所は冬は季節風が強くとても住める状態ではないとのこと。夏季のみ住んでいたらしい。しかし周辺では平地でも同時期の集落は発見されておらず、なぜこのような不適切な場所に住居を作ったのか。

古墳築造と祭祀のための仮住居と考えてみましたがどうでしょう?
(第3回現地説明会説明板より)
成塚向山古墳群と住居跡 丘上の1号墳の南側下には、30m離れて後期の2号墳があります。5.4ヘクタールの広大な調査範囲にあった古墳は2基だけです。また1号墳の北西側になるこの斜面には多くの住居跡がありますが、他の場所にはほとんど何もありません。この丘が使われたのは、古墳時代が中心でした。 この急斜面から、17軒もの古墳時代前期の住居跡(白線で囲まれた部分)が出てきました。ここは冬には猛烈な風があたる場所で、また水を得やすい低い位置(北側の谷底近く)には住居はありません。柱穴を持たない簡単な屋根の作りで、床も石の層にあたって傾斜しています。多くが火事にあってあり、たくさんの土器(地元の土器や東海地方の影響のある土器)や糸紡ぎ車が残っていました。 これらの住居跡に残っていた土器とほとんど同じものが、1号墳の真下から出てきました。そこは古墳を造る前に行った祭りの跡と思われる場所です。具体的な関係はまだはっきりしませんが、住居と1号墳の造られたのは同じ頃だった可能性があります。(第3回現地説明会説明板より)資料 成塚向古墳群現地説明会資料及び現地説明より
古墳を開拓した大沼田町の山を切り拓いた住宅地は気がふれる人が多く、車塚堀前方後円…