本関町古墳群は、伊勢崎IC西側の粕川左岸に分布しています。【アクセス】JR国定駅から徒歩・自転車3.2km、駐車場有、見学自由、石室内立入要許可 ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
一ノ関古墳 (殖蓮村71号古墳)前方後円墳 残存全長28m、推定全長約50m 本関町 須恵器の高坏、堤瓶、家型埴輪、円筒埴輪、葺石、横穴式石室 現地案内板

南東から。史跡公園としてほぼ整備が終了(2005/09)河岸段丘の縁で西側は侵食を受けている。

北から。6世紀後半(文献によっては7世紀前半)の築造で本来は全長50m程度と推定されている。1968年と1996年に調査されている。

南西から。左側が前方部だがほぼ大半が失われている。上毛古墳綜覧をみるとこの周辺には多くの古墳があったらしいが残っているのは本墳の他わずか。

南向きに開口。幅の狭いスロープ状の前庭を付設する。

全長6m前後の自然石乱石積の両袖型横穴式石室。石材は輝石安山岩の割石。
(現地案内板より) 伊勢崎市指定史跡 一ノ関古墳 平成10年12月28日指定 一ノ関古墳は前方後円墳で、粕川の侵食により前方部の大半を削り取られています。現存する墳丘は全長約28mですが、失われた前方部を合わせると、およそ50mの古墳に復元することができます。 墳丘は二段の葺石が築かれ、その間のテラスに円筒埴輪が立てられていました。また、下段の葺石から周堀までは約7mの基壇面が広がり、3段築成を意識して築造されており、周堀は幅約5m、深さ約0.8mで墳丘をめぐっています。 後円部には横穴式石室が造られていて、入口を南に向けています。墳丘からは家形埴輪や円筒埴輪が出土しています。また、前庭付近からは須恵器の高坏なども出土しています。 築造年代は石室の構造や出土遺物から、6世紀後半と考えられます。周片は本関町古墳群を形成していますが、そのほとんどが小規模な円墳であることから、この時期の地域の中心的な人物を埋葬した古墳と考えられます。 平成17年1月31日 伊勢崎市教育委員会 一ノ関古墳の石室 石室は両袖型の横穴式石室で、遺体を埋葬した玄室と通路の役割をもつ羨道からなっています。全長は約6m、奥壁部の幅は約1.5m、高さは約2mです。石材には輝石安山岩の割石を使い、奥壁には巨大な石を使用しています。石室は当時の地表面を掘り込んで造られており、外側には補強のための石組(控え積み)が行われ、天井石の周りは粘土で覆われていました。 羨道の入口は石でふさがれ、全面には墓道のような細長い前庭が設置されています。この前庭は幅が0.8mと狭く、羨道入口から下段葺石にむけてスロープ状に造られたもので、たいへん珍しいものです。 遺物は石室内にほとんどなく、前庭などから須恵器の高坏、堤瓶が出土しています。 (以下略) 平成17年1月31日 伊勢崎市教育委員会
(撮影 2005/09)
コメントありがとうございます。この辺りは現存古墳が多いので用地買収など難しい問題…