11月 072025
 

馬室埴輪窯跡は、北本市との境界近く、荒川右岸の台地に斜面にあります。【アクセス】★地図★

埋め戻し保存された埴輪釜跡。県指定史跡。

台地の斜面を利用した登り窯。

(現地案内板より抜粋)埼玉県指定史跡 馬室埴輪窯跡 時代 古墳時代後期古墳に埴輪を立て並べる風習は、古墳文化の中心地であった関西地方で生まれ、4~6世紀の300年間にわたって北海道を除く全国各地で盛んに行われました。 埴輪には、円筒形、人物形、動物形、家形などたくさんの種類がありますが、その焼き方には大きく二つの方法があります。一つは、地面に浅い穴を掘って焚き火のように焼く野焼きで、日本では縄文土器が出現して以来の伝統的な技法です。もう一つは、馬室窯跡のように台地の斜面などを利用し、本格的なのぼり窯で焼く方法です。後者は5世紀の中頃に、朝鮮半島からわが国に伝わった新しい技法で、それが埴輪生産に導入されたものです。この窯を使って焼く方法は、一度に多量の良質な埴輪を焼くにはとても有効で、6世紀台に入ると関東地方でも広く普及しました。 馬室埴輪窯跡は、昭和7年に初めて正式な発掘調査が行われ、古墳時代の埴輪生産の様子を知る上でとても貴重であることから、昭和9年に県指定史跡に指定されています。 現在までに、保存地区周辺には10基以上の埴輪窯跡が確認され、台地上には埴輪工人(製作者)たちの集落も発見されています。このことから、工人集団のくらしを知る上でも大変重要な遺跡です。 ここで生産された埴輪は、箕田古墳群をはじめとして、荒川流域の古墳へ運ばれていたものと考えられていますが、埴輪を焼いていた期間は5世紀後半~6世紀末までの約120年間であったものと思われます。 平成4年3月 埼玉県教育委員会 鴻巣市教育委員会

(撮影 2003/11)

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