本古墳は、那珂川右岸段丘上で湯津上中学校の東南東1.5kmほどのところにあります。【アクセス】JR矢板駅から徒歩・自転車21.0km、駐車場無し ★地図★
古墳名 墳形 規模 所在地 立地 出土品、備考 引用
上侍塚古墳 前方後方墳 全長約114m、後方部60.5m×58m、同高11.5m、前方部53.5m×52m、同高6.5m 湯津上 河岸段丘 葺石、鏡、鉄刀片、鉾片、鉄鏃、刀子、石釧、管玉、土師器 探訪栃木の古墳、湯津上村史、現地案内板

北から。水戸光圀が発掘したことで有名。那須地方の古墳の中では最大規模で、下侍塚古墳に次ぐ4世紀末(現地案内板では5世紀前半)の築造と推定されている。

北西から。この古墳を最後に那須地方では大型古墳は造られなくなってしまった。

後方部から前方部。

前方部から後方部。
上侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、那須地方に分布する6基の前方後方墳の中では最大規模を誇る。本墳は、元禄5年(1692)、水戸光圀の命により小口村の庄屋であった大金重貞らによって、下侍塚古墳とともに発掘調査されている。北方1.5kmで発見された那須国造碑の碑文内容と侍塚の被葬者との関連を探るために行われたもので、日本における初期の学術調査として特筆される。鏡(捩文鏡)・鉄鏃・石釧・小札・管玉・鉄刀片・土師器高坏などが出土したが碑文との関連は明確にならず、遺物は絵図をとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、もとの位置に埋め戻した。また、調査後は、墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどを行っており、遺跡の保存に関しても、見事な処置を実施している。古墳の築造は、出土遺物や墳形の特徴などから5世紀前半ごろと考えられている。なお、本墳のすぐ北側には、全長約48.5mの前方後円墳・上侍塚北古墳がある。(現地案内板より)
(撮影 2006/04)
古墳のあった土地を開発するのに邪魔になったので発掘調査をして石室を移築したのだと…